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WISEのビジネスパワーブログ「おまけ:交換社会が生まれた経緯を考えてみる」

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おまけ!資本主義社会が生まれた経緯を考えてみる

ちょっと時間が空いてしまって反省中です。(;'∀')

ビジネスの本質シリーズで、「交換と共有」のお話をしましたが、

この「交換」と「共有」ということ自体も掘り下げてみると、ちょっとおもしろいんですよね。

交換は、「所有」とコンビで、

共有は、「共存・協力」とコンビなのかな?と思います。

交換するということは、その交換するそのものが、明確に誰かのものである必要が前提としてあります。

そう思うと、「個人所有」という「概念」自体が当たり前の社会で成立します。

 

昔見たテレビ番組で、海外のごみ山暮らしの子供たちのドキュメンタリーがありました。

そこに女性タレントさんが密着するのですが、子供たちは有害物質も含まれた廃棄物の場所で生まれ、そのためなのか大体父親はおらず、母親も病気がちです。

なので一番の労働者が10歳にも満たない少年少女たちで、彼ら彼女らのゴミ漁りが家族の収入の全てです。

そうなると、一日朝からごみ山を漁っても、兄弟や家族が満足して食べられるなんてことはあり得ません。

いつもお米を溶いたおかゆのようなお湯が食事です。

そうしたら、長女の10歳くらいの女の子が、女性タレントさんに、当然のように夕飯のおかゆを分けて出しました。

その女性タレントさんは、彼女が一生懸命働いて稼いだお金で買ったお米、おかゆをもらうことを躊躇しましたが、女の子があまりに自然に笑顔でお椀を差し出したので、

断るのも傷つけてしまうかも?と口をつけます。

味のしないおかゆは、おいしいものでもなく、その女性タレントさんはその後涙を流しました。

 

私たち現代の日本人の感覚だと、女の子の行為は崇高で、思いやりを感じますが、

私は多分、その女の子たちの世界観では「所有」という概念がないのではないか?ととらえました。

一日一緒にいたというだけでも「仲間」で、「共存」する存在と認識していて、

だから食べ物を「共有」するということが、偉いことでも道徳的なことでもなく、

ただただ、「当たり前」なのではないか?と思います。

 

とある経済についての本で、非常に興味深かったのは、ものが少ない社会というのは、こういった社会通念を持つようです。

ものに「余剰」ができて初めて「個人所有」という概念が生まれると。

基本的に物が少ない社会というのは、一番は「食料」が足りていません。イコール死に直結。

とにかく近場の人たちとみんなと助けあい、一生懸命協力しあって、食べ物を作り、皆で分配、共有します。

近い場所でのコミュニティなのと、厳しい環境下だからこそ、お互いの監視の目が自然とあって、道徳心が最も価値が高かったのではないかと思います。また作物を育てるというのはさぼることが一番の罪なので、ずるする人やいじわるな人は外に出されたのではと想像します。

だからよく村長は年長者がなるものですが、その存在は基本的に道徳、ルールの監視者でありルールそのものとして認められる存在だったのではないでしょうか。

 

そうこうするうちに、少しずつ作物を育てるレベルが上がっていき、生産力が高まっていきます。

そして「生産余剰」が出てくることで、その余った分をどうするか?ということから、いっぱい働いた人に多く、などの「個人所有」が生まれると同時に、農業以外の職業も生まれていきます。

農業以外の職業者に対して、その労働対価を支払うということで、小麦何グラムなど価値基準ができ、「交換」によって生活をしていくという土台が普及していったのではないでしょうか?

「生産余剰」「個人所有」「農業以外の職業」「労働対価」が同時発生し、交換社会が成立していったのではないでしょうか・・・・?

あ、またもや妄想のおまけ話なのに、結構分量多くなっちゃいましたね(;´・ω・)

では次は、古代?からは打って変わって、おもいっきり現代のお話をしたいと思います!(^o^)

WISEのビジネスパワーブログ「ビジネスの本質:ビジネスはどんな結果をもたらすのか?」

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ビジネスの本質:ビジネスはどんな結果をもたらすのか?

 

今更なんですが、あえてなぜ「ビジネスの本質」なんて偉そうに話をしているかというと、多くの現在あるビジネスの話って、基本的に「お金の儲け方」だと思うんです。

 

でも、「お金を儲ける」のはビジネスの一部であって全部ではないはずです。

 

今の時代、今の社会だからの「お金の稼ぎ方」ではなく、もっと本質的な理解をしなければ、次の時代のビジネスを構想することはできないだろう、と私は思います。

 

目に見える「お金の動き」ではなく、その奥にある、中身、質的な違いも理解する、感じられるようになり、そのうえで何がよりよいものか、を思考し判断し実行していく、そう私自身もなれるように、また聞いてくれる人も一緒にそういった視点をもっていただけるようになったら幸いです。

 

前回、前々回と、ビジネスを生命の根本原理から説明し、交換・共有の成立条件から、その原因までをお話しました。

今回は、その交換・共有が成立するということは、どんな結果をもたらすのか?それにはどんな意味があるのか?ということを考えたいと思います。

 

結果というのはある意味すでに原因に内包されているというのはアリストテレスの言だったと思いますが、

まさにその通りで、「より良いものにしたい」という人間の欲求により、

 

交換・共有を行うことで、その相互間の価値の総量は増えた、という結果がもたらされます。

 

つまり、社会、世界の価値の総量が増えた、ということになります。

 

見た目には物の量は変わっていないのですが、人間が受け取った価値は増えたのです。

 

例えば車を一台買って、友達とシェアしたら、車は増えていないけれど、自分と友達の中で生活は、よりよくなっていますよね。

その車を100万円で買っていたら、売った方買った方、もともとあったお金と車を交換しただけですが、お互いの生活は、よりよくなっていますよね。

 

自分の人生、生活や、自分の周りの人、自分が属するコミュニティーがより良くなること、幸せになることを、人は価値があると思うのではないでしょうか。

価値の概念というのは人それぞれですが、とりあえずここでは曖昧でもそのように感じることに否定はないかと思います。

 

ただ、価値というのは普遍的でもあり流動的でもある、不確かな「なにか」ですよね。

 

小さいころ大好きだったぬいぐるみ、今の私はなんの躊躇もなく捨てられます(笑)

昔大好きだったハンバーグ、今は別にそうでもありません。むしろ銀鱈の西京焼きが食べたいです。

こう考えてしまうと、価値というのは時間が経てば増えたり減ったりするように思いますが、そうではありません。

それはものそのものと自身や市場に不随する相対的な価値の概念です。

そうではなく、その時感じた幸せ、一人の人間が一生で感じる幸せを絶対値として価値を加算していくと考えれば、日々そのものと自分が判断する価値は変動したとしても、その時受けとった幸せを絶対値としたらその総量、価値は常に増えていくはずです。

嫌なことがあったらマイナスになるということでもありません。

というわけで、交換・共有が起きたその時は、確かに「価値の総量が増えている」と私は考えます。

 

 

 

私は、怪しい宗教家ではなく、むしろ個人的には非常に「科学的な」思考をしていると思うのですが、

 

宇宙には、人間に作用する何かしらの法則が存在しているのでは?と思っています。

 

よく自己啓発などで言われるのは鏡の法則などありますが、

そうではなく、もうちょっとドライにかつ物理学的にも今のところ結論づけられている「膨張論」のことです。

 

あとエントロピーの増大の法則」でもあります。

 

このあたりは不勉強なので、はっきり分かっているわけではないのですが、、、、

 

あ、エンなんちゃらの増大の法則の話をする前に、まず法則、というと皆さんそれに「根拠」があると思いがちですが、

万有引力の法則とか、皆さんが望むような説明できる根拠はそもそもないですからね。

 

なんか理由はよくわからないけれど、現象を何度も観察すると、どうもこういう動き、作用がある気がして、それがあると仮定して実験したり思考すると、あってるっぽい?、というか、事象をうまく説明できる、と思われるものを「法則」と言います。


物理って非常に「機能的」な思考をします。

こう考えると、役に立つよって、じゃぁ法則ね、ということになります。

(ちなみに、じゃぁその万有引力の法則も、法則の謎は全て解けた!と将来いえることがあっても、最終的に今度はその説明した理論体系の正当性を保証するものが必要になりますね。

でもそれはその理論体系内での証明は不可能だ、という証明が、「不完全性定理」と言い、すでに証明されています

証明されたものは法則ではなく定理といわれます。

つまり、私たちはどんなに努力しても、絶対的正解のない世界に生きていることが数学的に証明されたのです。

このことを人間がどう解釈するか?は非常に面白いことですね。あぁしびれるっ)

 

やっとエントロピー増大の法則の話に戻りますが、大丈夫ですか?

話ついて来てくれてますか?(^^;

 

つい脱線多くてすみません。

 

私はエントロピーの研究家ではないのでプロがお読みになるとお恥ずかしいのですが、

 

エントロピー増大の法則というのは、現象はどんどん乱雑になり、それが自然に元の状態に戻ることはない、というものです。

水の中に塩を入れると、一切掻き混ぜなくても数時間後にはすっかり塩の分子が行き渡っている、というのも、エントロピー増大の法則です。

ほっといたらまた塩の固まりになることはありえないですね。

 

それと同じことが色んな場面で起こっていて、またその根拠が謎なので、法則と名付けられています。

 

ということで宇宙は、乱雑になっていく。

 

もし宇宙に意思と思われるものがあるとしたら、なぜ乱雑を求めるのでしょうか。

 

均質になるためでしょうか。

 

私はむしろその真逆、乱雑になればなるほど、イノベーションが起こるから、ではないかと思っています。

つまり、無数の多様性を持ち、衝突しあい乱雑になりながら進化を繰り返し、より多様化し、より進化していく

 

これが宇宙の意思、というと宗教ちっくですが、宇宙の方向性なんじゃないかと。

 

宇宙膨張論で考えると、多分、宇宙はその中により多くのものを内包することを望んでいるように感じます。

 

だから、広がり続ける。

宇宙にとってみれば、人間も、地球におけるそのためのコマの一つなんじゃないかなとか。

 

ここまでいうと私の妄想ですね(笑)

でも少なくとも私の中で腑に落ちたのです。

正解のない世界でも、宇宙の動きと似たことをやっているというのは、流れに逆らっていない、というか必然的な行動ということなんじゃないか?と。それって強くないか?と。

 

地球、人類の歴史も常に多様化、進化の歴史だと私は思います。

そう考えると、いろいろ「辻褄が合う」のです。

ヘーゲル弁証法、正反合も同じ理屈として説明できるわけです。

宇宙の法則の一つだ、と。

 

というわけで、交換・共有の結果、宇宙に価値の総量が増加していく、ということは交換・共有は宇宙に多様性・進化をもたらしているのではないか?

またそれは宇宙の方向性に叶っており必然的な作用によるものではないか?、というお話でした。

 

 

 

次回はちょっとおまけを挟んで、その次で現在あるビジネスが本当にエントロピー増大、膨張論にのっとっているか?の話をしていきたいと思います。

 

ヘビィかつよくわからない話になってしまってすみません(;'∀')
でもこれが私の本音です。
お付き合いありがとうございます。

WISEのビジネスパワーブログ「ビジネスの本質:なぜ交換・共有が成立するのか?」

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ビジネスの本質:なぜ交換・共有が成立するのか?

前回「ビジネスの本質:生物学的ビジネスの根本原理」で、人は生きている間、どの時代でもどんな人でも普遍的に、自分で何かを作るか、交換・共有してもらって、自分に必要なもの、欲しい物を得ている、というお話をしました。

それがビジネスの基本だと。

 

今回は、さらにそれに踏み込んで、考えてみたいと思います。

 

イマヌエル・カントという哲学者がいます。

前回に引き続き、また哲学かい!と思われるかもしれませんが、私の思考回路は基本的に物理と哲学で構築されているので、ご容赦ください。

 

彼は哲学者として有名で、彼の学説は世界に、今の現代日本にも実は影響をもたらしています。

 

そのカントは「永遠平和のために」という本を出版しています。

 

そこまで難しい本ではないので、ぜひ読んでいただきたいのですが、

今の時代、改めて考えさせられる題名ですよね。

 

私たちは今、少なくとも日本は平和に思えまずが、いつなんどき戦争が起きてもおかしくなく、実際テロや銃撃戦がある国は未だに多く、世界平和とは程遠く、

 

もっと言えば「永遠平和」など夢のような話だと、感じてしまいます。

 

カントの時代は今よりも、もっと戦争にあけくれている時代です。

そんな彼が、哲学者として、人として、真剣に取り組み書いた文章が「永遠平和のために」なのです。

 

序説で彼は彼らしく、そもそも「永遠平和とはなにか、またそれは成立しうるか?」という問いを立てます。

 

それは裏を返せば、戦争のないこと、争いのない世界は成立しうるか?という問いでもあります。

 

ならば戦争、争いはなぜおこるのか?

 

カントは「相手の持っているものを相手を打ち負かし奪うため」と考えます。

何かを外部から必要とするのは生命の根本原理でしたね。

歴史上、戦争とは、そのための戦いだったのです。

 

ならば、「打ち負かして奪う」よりも、「仲良くなって交換・共有する」方が、より「多くのものを手にできる」としたら?

 

あいだみつをさんが「奪い合えば足りぬ 分け合えば余る」と仰いましたが、同じことですね。

 

カントは、人間がそのシステムを作ることができれば、永遠平和は達成しうると考えます。

そしてそれは、人間に可能である、と彼は結論づけるのです。

なぜなら、奪うというのは奪われるリスクがあり、戦うというのは殺されるデメリットがあるので、交換・共有する方がよっぽど効率的かつ効果的だからです。

(そんな子供でも分かる当たり前のことを達成できてないのが現実ですが。「永遠平和のために」が出版されてから200年以上経ってるというのに!!もはや恥ずかしい!!!)

 

正当な交換・共有の仕組みは「平和への道」と私は考えます。

だから本来、正当なビジネスは世界に平和をもたらすはずなのです。(争いの問題はビジネスそのものではなく拝金主義的資本主義だと思います)

 

さて、ここで 改めて、交換・共有の「成立条件」について考えてみましょう。

 

ここに10円があります。

 

よく「交換」というと、「等価交換」をイメージしますが、実際の交換において、等価交換は起こりません。

 

10円を等価交換したければ、10円と交換する以外ありえません。

 

でもだれも、10円と10円を交換する人はいませんね。

 

等価交換では「交換は起きない」のです。

 

なので、そこに、うまい棒をもってきましょう。

10円でうまい棒と交換する人はいます。

 

それはなぜでしょうか?

 

 10円を持っている人は、10円を持っていることよりも、うまい棒が価値があると思い、

うまい棒を持っている人は、うまい棒よりも10円が価値があると思うからです。

 

つまり、人はより価値が高いと自分が思うものと交換をしようとし、お互いがそう思うことができた場合、交換が成立するのです。

 

わらしべ長者というお話も、最初はなんでもないアブが、少しずつ交換を繰り返すことによって、最後は家を所有することになります。

 

これは「交換」のパワーについてのお話なのです。より良い物としか交換が成立しないならば、交換を繰り返せば必ず、良い物にたどり着くはずですね。

 

共有というのも、交換とほぼ同じで、自分ひとりで所有するよりも、他者と分け合った方が得だ、と判断するから成立します。

 

交換・共有の原因は、「より良い物が欲しい」という「より」という人間の思いなのです。

 

おっと、少し長くなってしまったので、「結果」について話せませんでしたが、このへんで切り上げます。


次回こそ!今度は交換と共有の「結果」について、お話したいと思います。(おまけの話が長いからかな~(;'∀'))

WISEのビジネスパワーブログ「ビジネスの本質:生物学的ビジネスの根本原理」

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ビジネスの本質:生物学的ビジネスの根本原理

いきなりですが、生命が存在するための根本原理って、考えたことがありますか?

そんな哲学的なこと・・・とお思いになるでしょうが、そもそも哲学とは本来実学です。

実は、生命の根本原理が分からないのに、ビジネスが分かるわけがないのです!!Σ(゚Д゚)

分かってなくてもビジネスがうまくいくとしたら、もともと感性が鋭いとか、たまたまうまくいったとか、世の中は理不尽だったり不公平・不条理なので、まあ仕方ないと、

そういう人のお話は参考程度に聞き流さないと、「自分で」ビジネスする時に参考にするのは難しくなってしまいます。

 

というわけで、私はなるべく、自分の経験や賢者の方々のお話を踏まえつつ、常に「根本」「本質」はなにか?を考えてきました。

 

そうしたら、ビジネスも、生命が存在するための根本原理にのっとっていることに気付いたのです。

 

生きているもの、植物含めて生物と分類されるものは、

必ず何かを外部から「獲得して」生きています

 

空気、水、食べ物などの栄養は、必ず「外」にあり、それらをなんらかの方法で獲得、摂取して、生命が存続します。

そのために動植物はみなそれぞれ、工夫、努力し、適応、進化し、今存在しているわけです。

 

これって当たり前のことですが、「そういう風に」世界を見るか、見ないか、が大きな差です。

 

ただ犬かわいい~花きれい~じゃなくて、動物・植物などを見て、自分がどう感じ、いかに解釈し、どう応用するか。

 

起業家・革命家というのは、そういう「目線」「視座」の違う存在であることが大切だと私は思います。

 

話を戻すと、人間も、その根本原理からは外れておらず、

 

生きていくための必要なもの、欲しいもの、を得るためには

①自分で作る

②交換する

③共有する

(※おまけ 盗む・奪うは一応除外。でも実際は盗まれたり奪われたりしてますが)

の3つの方法を用いています。

 

嘘だ!と思ったら、ぜひ自分の24時間、どう生きているか、振り返ってみてください。

これ以外の方法はなかなかないはずです。例外的に施しを受けるというのもあるかもしれませんが・・・

 

そういう目線で考えると、ビジネスというのは、

①自分でなんらかの「価値」のあるものを作る(価値=他者が必要・欲しいと思うもの)

②その価値のあるものを、何か(基本的にはお金)と交換する、または共有する

こと、と解釈できます。

 

多くの会社勤めの人は、自分の「時間」を作って会社からお金と交換しています。

もちろん、時間をただ提供するだけではなく、その時間で「より価値のある何か」を作ることが出来る人が、よりたくさんの「お金」と交換してもらえます。

 

そういう根本原理にのっとって、ビジネスが成立しているわけです。

でも、そりゃぁそうですよね。

ビジネスは世界中で普遍的に行われていることで、国や時代が変わっても存在するものです。

現代的ビジネスと古代のビジネスは表面的には全く違うもののように思えますが、

この根本原理には同様に乗っ取っているはずです。

 

ピンと来なければ、ぜひ、自分で歴史などをひっくり返して読んで考えてみてください!

 

では、次回は、この「交換」「共有」の「原因」と「結果」についてお話します!

「○○ちゃん大きくなったわねぇ」「はい、おかげ様で」私「え、普段会ってもいない人のおかげでなんか大きくなってないですけど」おかげ様に隠された意味

親戚、または近所の人

「WISEちゃん、

小学生(中学生、大学生)になったのー、

大きくなったわねー」

 

「おかげさまですー」

 

と返す儀式的やりとりが昔から苦手でした。

 

何年も会ってない知らない大人のおかげでなんか大きくなってないよ、

と、当時のひねくれとがっていた私は思ったものです。

 

しかし、本来、おかげさまはお陰様、つまり、目に見えない陰のような力によって、

という意味なのですね。

 

誰だれという特定の人を指しているだけではなく、

たくさんの目に見えない加護、それをお陰様と呼んで感謝しているのだそうです。

 

と知ると、日本語ってすごいなぁ、

日本の精神的レベルって本来高いのだろうなぁと今更ながら反省します。

 

感謝も、感じて謝る、と書きますが、

なんで感じて謝ることが感謝になるのだろう、と思うと不思議でした。

 

多分、目に見えない力、思い、は、感じることでしかわからないので、

普段忘れて自分の力だと思っていることを反省し、謙虚になって、

目に見えない自分を支えているものに謝ることが、

感謝という概念なのかな、と。

 

目に見えないけど、大切にすべきものは、確かにある。

 

これをどれだけリアリティを持って伝えていけるか、

が、ここ最近のテーマです。

起業に至る22歳までのこと 18歳引きこもり休学19歳訪問営業とキャンギャ20歳復学学生団体21歳航空から哲学科転部22歳起業

起業に興味がある学生さんにとって何かの参考になればと思い、久しぶりに自分なりの過去を思い出してみます。

 

天才児の末路?

 

話は幼稚園時代までさかのぼります。

幼稚園時代母が少しお受験ママだったというのもあって塾に通っていました。

その際測ったIQが180。全国試験でも国語は2桁位でしたが算数は全国一位。

幼稚園生にどんな試験・・・?と思うのですが、私が算数で単独一位になったのは、私だけが解けた問題があって、それは水がいっぱい入ったコップに石を入れたら水はどれだけこぼれるか?という問題でした。
私は何も考えずに石の大きさ分、と書いたらそれができたのが私だけだったので、一位になれたそうです。

大人になれば当たり前なんですが、幼稚園児で解ける子が少ないようですね。

そういうわけで私は周りから天才児扱い。ですが本人はそういう大人の手のひら返しに困惑しました。窮屈。怖い。

何をやっても、何を言っても「天才!」「さすが!」と言われてしまう。

母親に対しても正直不信感を持ちました。←ということを以前カウンセラーさんに話してみたら、そういうところが「ませた子供」≒頭のいい子供らしいです。

 

お受験にそんなに目標もなく、勉強が好きだったわけでもないのでやる気もなく。

それでも周りからのプレッシャーで有名私立の受験日には毎回お腹が痛くなりました。

結果は惨敗。地元の公立に通うことになったのですが、母の気落ちはここでは書けないほどのものでした。

 

私は落ちてほっとしていたのですが、周りはそうではなかったのですね。このあたりから私のトラウマが形成されます。

 

小学校一年生で、男子生徒達からイジメ

 

公立に入ったはいいものの、少しずつ、男子生徒達からのいじめにあうようになります。

 

理由やきっかけは覚えていないのですが、多分私の反応が面白かったんだと思います。

鶏小屋に閉じ込められたり、鉛筆で刺されたり、体育の授業の前後で着替える時は羽交い絞めにされて服を脱がされたり。

 

小学校一年生なので、「いじめ」って言葉を知らないんですよね。だから「なんでこんなことするのか?」と私は普通に聞いてしまう、でも相手はみんなへらへら笑っていました。

それに対して私はやはり普通に怒ってしまう。その様が面白かったのだと思います。

毎日あざやみみずばれを作って帰りました。でも母はその時はまだ受験失敗のショックが残っていて、なるべく私のことを考えないように、見ないようにしていましたし、私も母に怒られるかもしれないなら、いじめの方が我慢できたので何も言いませんでした。

しかし私の同級生の女の子が、母親に私のことを言っていたそうで、母親同士の会話で母は私がいじめられていることを知ります。

そこで母は姉の通っている私立に転校する?と聞き、私は男子生徒がいない学校に行けるならいいと思い、女子校に転校することにしました。

 

18歳で第一志望の大学に落ちてトラウマ復活

 

18歳までもそこそこ色々あったのですが、一番転機になったのは18~19歳の時です。

第一志望校に落ち、でもそこまで第一志望にこだわっていたわけでもなかったので、まぁいいか、と通い始めます。

夢のキャンパスライフ!とその時は思っていたので。

 

でも実際に大学に行くと、理系だったのもあって周りは男だらけ。

明るくて良い人たちばかりでしたし、私もいつまでも男性と話さないのはよくない、となるべく話すようにしました。

でも少しずつ、彼らの小さな行動、発言を私は理解できずに不安・不満に感じ始めます。

誰誰とよく話してるけど、あいつは彼女いるよ?と言われ、

私は相手のことなんとも思ってないのに、なんで普通に話してるだけでそんな風に思われなきゃいけないんだろう、と思うと少しずつ男性と話すのが怖くなって。

 

そもそも新歓コンパなども、当時はお酒の席を面白いと思えずバカ騒ぎすることにひいてました。

 

ある男性の同級生が、

女性に対して、「えー。処女なの?処女なの?」とふざけて笑いながら大きな声で話していて、その女性は困惑していて、それを見て私のトラウマがどっと出てきました。

自分が面白いと思ったら相手のことお構いなしでそういうこと言えてしまうところが、小学校のころの男子生徒とかぶったのだと思います。

今思えば男性に悪気はなく、周りも「子供だな」で済む話なのですが。

 

それから大教室での授業でドアを開けると、男性が300人ほどいて、みな笑って話しているのを見て、気持ちが悪い、と思うと、足がすくんで吐き気が出てしまい、もう入れない、と思いました。

 

予備校からの転部の決意

 

とにかく大学には行きたくなかったのでやめる事を決意したのですが、親からは休学を進められ、大学やめてもやることなかったので、勉強をしようと思い予備校生活になります。さすがに何もしないというのが選べなかったのだと思います。

そこではほとんど誰とも話さなかったと思います。

当時唯一話しかけてきた女の人は、今10年たって私に話しかけていた理由をひょんなことから聞くのですが、

「予備校の雰囲気にのまれて友達作っているような人たちとは違うオーラがあって、この人なら話しかけても自分のペースを乱されないと思ったから」だそうです。

 

そういえばどこの予備校もそうなのかわかりませんが、煙草吸ったりお酒飲んだり、彼氏彼女作ったり、友達作って遊んだりする人たちもいました。

そういう人への許容力がなかった時期でした。予備校生は勉強が最優先でその他はいらないと思っていました。

 

とにかく勉強はするのですが、いよいよ受験が近づくと、自分の中でどうすればいいのか分からず、毎日死ぬことばかり考えていました。

 

受験しなくちゃ、勉強しなくちゃ、なのに全然頭に入らない、どこの大学行きたいという思いも出てこない。

 

夜寝るたびに苦しくて辛くて泣いていました。

 

そんな時、たまたま速読の練習のために読んでいたヘルマン・ヘッセの「デミアン」で「数学が得意だからと言って数学者になる必要はない」という一説に出会います。

 

その時、脳天を打たれたように思いました。なんでもない一説なのですが。

自分は理系が得意だったけれど、理系に絞る必要はないんだ、と思うと、センター試験のために勉強していた倫理が一番勉強している時間が面白い、ということに気づきます。

 

自分はせっかく大学に行くなら将来の就職などを考えずに自分の好きなことを思いっきり学びたい!と思い哲学科転部に決めました。

するとそれまでの死にたいという思いはなくなり、自分に何かが戻ってくるのを感じます。

 

そこからすべてが変わる

 

最初は親になんて言おう?と思いました。自分の中では決定事項だったのですが、母が許してくれるイメージができなかったからです。

なんのために予備校いったんだ、T大に行くんじゃなかったのか、と言われると思いました。

 

でも言うしかないので勇気をだして言ってみると、「やりたいこと見つかってよかったね」と言ってくれました。

私の中ではずっと母はお受験ママで、良い学歴でないと認めてくれないと思っていたので、

 

この時、人生で初めて心から「ごめんなさい」と「ありがとう」が出てきました。

 

母は母なりに私のことを思ってくれていて、それを私がずっとねじ曲げて受けとっていただけなんだということに気づいたのです。

この「ごめんなさい」と「ありがとう」が私を変えます。

 

転部を決めたら、大学に戻るだけではまた登校拒否になるかもしれない、という思いと、両親に私が「変わった」ということを感じてほしい、と思いました。

 

そこで、人と話せるようになる、ことと一人暮らしをする、が大学復帰前の目標になり、そのためにやりたくないアルバイトをやってお金を稼ぐ、ことを目標にしました。

 

まずは平日は訪問販売。初対面で人と話すのが怖かったので、これはかなりハードルが高かったです。何度ばっくれようと思ったかしれません。※変なツボとかお布団は売ってません(笑)

でも売れなきゃお金にならないだけなので、とにかくピンポンをしなければなりません。

そして土日はキャンペーンガール。とにかく、話せませんでした。マイクもって、話すことを紙に書いて同じこというだけなのにかみかみ、マイクごしだから余計ぼそぼそ。

何度もため息ついて何度もトイレに行って泣きました。

 

どちらのアルバイトも心底、もう嫌だ、もうやめようと毎秒毎分思ったのですが、そのたび「ごめんなさい」と「ありがとう」の気持ちが沸いてきます。

あの「ごめんなさい」の気持ちを嘘にしないため、「ありがとう」を形にするため、踏みとどまりました。

あと、情けない自分がいやでした。

結局、自分は大学から逃げたんだ、という思いがあったので、もう逃げるのはみっともない、もうそんな逃げていい年齢じゃない、と感じていました。

 

進撃の私

 

あまりにもうまく行かず苦しい毎日の中、ある日、振り切って、自分なんか捨てよう、と思い始めます。

だって、変わりたくてアルバイトやっているのだから、前の自分のまま、変わるなんて無理なので、別人にならなければ、と。

 

ちょうど訪問販売もキャンペーンガールも、前の私のことを知っている人なんていないのです。

 

なのである日自分の中ではものすごい大きい声を出してみました。めいいっぱい明るく元気な人を演じようと。

すると、最初はかむのですが、訪問販売も、キャンペーンも、1日やっているので、百回以上失敗できるのです。

その前までもっと大失敗状態なので、大声出して失敗してもそんなにダメージはありませんでした。

 

すると、少しずつ慣れてきて、その数週間後には訪問販売でもキャンペーンガールでも、週間、月間の最優秀賞に選ばれます。

※このときの営業ノウハウなどもいつかお話できればと思います。この経験が独立した先である程度は助けになりました

 

人と話すことが楽しくなっていきました。お金もたまり、一人暮らしを自分のお金だけで始めることにします。

 

学生はチャンスの宝庫

大学生に戻ると、周りの学生たちが若く、幼く感じました。

怖いものなし!という調子乗った学生だったと思います。

唯一面白い経歴だな、と思う大学四年生の男性に会い、その人が学生団体をやっていたのでそこに入ってみると、いろんな会社の経営者さんとお会いすることができました。

とても面白く、学生ってだけで色んな人があってくれる、話してくれるものだなと感じました。

その中でもまた特におひとり、素晴らしいと思える方がいらして、その人のお話を聞いているうちにビジネスに興味を持ち始めます。

 

当時航空から哲学科に転部を教授や大学の人たちに相談すると、みな口をそろえて理系女子の方が就職先はいくらでもあるのに、哲学科にいっても就職が難しい、と言われました。

ならば自分でお金を稼いだ経験があれば、就職するときも多少は有利ではないか?という学生の浅知恵が働いたのです。

 

そしてその方からビジネスを学び、大学三年生の夏休みに資本金10万円で1週間の準備でネットショップを始めます。もともとITは好きでしたし、そういった会社の社長さん方に話は聞いていてアルバイト経験もあったので当時の最先端の知識がありました。

 

すると初月で100万円近くの売り上げが立ち、アルバイトさんを雇って二カ月目も100万円の売り上げを出します。

 

そうこうしていたら、大手企業などから相談を受けるようになり、大学も始めるので一度ネットショップは締め、相談の仕事を不定期で受けるようになり、セミナーなども依頼されてやるようになります。

 

そんな内容をブログで書いていたら、テレビ取材なども受け、気づいたら女子大生起業家になっていました。

 

当時知り合った都内の有名な若い社長さんたちは、5年以上経ってもいまだに何かとすれ違うことも多く、ご縁は面白いなと感じます。

 

よく起業できましたね!と言われるのですが、私にとっては留学感覚くらいでした。

みんなよく留学経験が就職に有利と思う人もいらっしゃると思うので、それと同じです。

 

そのために100万円使って海外体験だけを得るなら、私は10万円で経営を体験してみるのは悪くないと思いました。

 

起業したいという学生に言えること

 

振り返ると、結局才能よりも「意思」が大事だと思います。どんなに才能があっても望んでいなければ何も手に入らず、自分が本当に欲しいと思うものでなければ、その才能は生かされないようになっているのだなと。

母は私にいい大学に行ってほしかったとしても、私は自分の頭は大学受験よりもITや営業やビジネスや哲学に使いたいと思っていたんだと思います。

如実にうまく行くときはそうで、うまく行かない時もそうでした。

そう考えると、生きるというのは案外指針がちゃんと自分の中にあって、それに向き合えば気づける環境もあるということだと思います。

 

自分には才能がない、という人がいます。

 

本当にその人に才能があるかどうかというのは誰にもわかりません。

 

ただその「才能がない」ことを言い訳にしてあきらめるか、

違うことをやるか、もっと工夫をするか、の差があると思います。

 

心を透明にして意思をはっきりさせた時、腹をくくった時、才能がばきばき音を立てて自分の中で育っていく、そういう経験があるのは人生を豊かにします。

 

今までと違うことがしたいならば、今までの自分と決別し、変わる必要があります。

 

人は変わりたい、と言いつつ、私の知る限り99.9%が変わることを怖がります。

 

でも、私が思うに、今の自分は、本来の自分じゃない、ということ、今の自分は本来の自分から歪んでいること、に気付けば良いのです。

 

私は自分が変わるきっかけは、自分を情けない、みっともない、と心から思ったことです。

人のやさしさに気付かず調子に乗って、少し勉強ができるくらいで勉強に逃げ、学生時代は勉強くらいしかまともにしてこなかった自分。

大学に入ったら勉強に逃げられなくなって、結局小学校の頃のトラウマを持ち出して、人から逃げて、また勉強に逃げて。

 

逃げた先には何もないどころか毎日死にたくなる苦痛があることは、もう知りましたし、こんな情けない人間を許してくれていた人へのごめんなさいとありがとうにしがみつく以外、もうできませんでした。

 

学生時代にたくさん傷ついて死にたくなって、それでも生き延びた人ってやっぱり強いと思います。

歳をとって死にたくなるとなかなか大変ですから。

 

偉そうに大したことないことを書いてみましたが、面白ければ幸いです。

早く仕事をするのではなく、早めに仕事を始めることの方が100倍大事

遅刻しないようにするには?

 

というなら、

 

三分早く走るのではなく、三分早く出る、方が確実で安全。

 

仕事も、早いことが偉いのでは無くて、どんなに優秀でも焦ってやったらミスするし、早く終わってもミスを確認する時間がなかったら、やっぱりミスに繫がる訳で。 仕事を早くするのではなく、早めに仕事する

 

 

昔、とある方と虎ノ門あたりでお食事ご一緒していると、その方がお手洗いなどで席を外した際、パシッとスーツを来た男性に声をかけられました。

「○○さん(←その方のお名前)と知り合いなの?名刺を渡したいのだけど、紹介してもらえませんか!?」 と言われたことがある、知る人ぞ知るすごい人、という方がいました。 

 

たまたま私はヨットを大学生の時に部活でやっていた時期があり、ヨットつながりで知り合ったのですが、確かに事務所がありえない広さで、年間契約料がとんでもない額だと聞いてすごすぎて理解できませんでした(^-^;

 

その方が、ご自身の船で船上パーティーをされたいというので、お手伝いをしたことがあります。

その時、ことの進め方に驚いたのですが、たかだか10人ほどの身近な人たちを呼ぶパーティで、準備、1か月前からです、、、、、 

 

まず、ご自身でお料理を作ると。ご自身でワインを選ぶと。そのホスピタリティに驚きますよね。(今思えば、多分、もうお金かけてどうこうのイベントに飽きていらしたのかもしれないです)

そのお料理のアイデアをもらうために1流料理店までいくつもはしごして行き。 そしてさらには、ご自身で試作!!少し冷えてもおいしい料理を作るというテーマでした。

 

(船にはキッチンもあるのですが、基本は作って持っていくことにしたので) 

 

必要な食器等の準備も万全。 もう紙皿とか紙コップとか、プラスチックのフォークとか許されないんです。 

 

 

そして夜7時からの予定で、集合、午前10時。 私、メールを見て何かの勘違いかと思いました。 

 

 

でも確認して訂正されなかったので、「なぜ10時・・・?」と思いながら到着。 

 

すると、案の定、準備は13時には完璧に終わります。 

 

余りもので料理してお昼。 

 

手持無沙汰じゃないか・・・・と思ったら、そこからが違いました。

 

 

 「で、ここから更に良くするためにはどうする?」 とディスカッションになりました。 

 

え、散々準備したのに? とりあえず、船に荷物を運びましょう、と行くと、 じゃぁ時間があるから、船内の掃除をもう一回!と。

 

 実際やってみると、あれもこれもとやることが出てきて。 あっという間だけど、余裕をもって開始の時間になりました。

 

 その時、 「仕事をもらって、締め切りまで時間がある、というのは勘違いで、締め切り前に仕事が終わって初めて、時間があるというんです。

 

そのできた時間でよりよい仕事にするんですよ。」

 

 と言われて、なるほどなと。

 

 

 それから、課題は、締め切りの3日前にはなるべく終わらせるようにしています。

 

 1日寝かせると、違う側面が見えて、次の日もっと良くできるので。 これが大切なんだな、と思います。