どう稼ぐか、 だけじゃなくて、 稼いでどうするか?がある人とない人
私は、稼いでどうするか、なんていうのは、稼いでから考えるものだと思っていました。
だって、稼いでみてもいないのに、稼いだらどうしようって考えるのはとらぬ狸だと思ったからです。
でも最近は、そんなんでは表面的に稼ぐということしかできないぞ、ということに気付きました。
というのも、お金を稼ぐというのが最終目標になるわけではないからです。
例えば、甲子園優勝する!という目標と、1億円稼ぐ!という目標は、文章的には同じように見えますが、本質的に全く違うのです。
甲子園優勝するというのは、それだけで目標として完結するのですが、1億円稼ぐというのは、その1億をただ持っているだけでは何の意味もないからです。
その1億で何をしたい人なのか?
ただ貯金するため?良い家に住むのか?車が欲しいのか?世界一周したいのか?
お金は、そのものに意味があるのではない、というのは「字面」ではわかっているつもりでしたが、
それを本当に理解していれば、お金を稼ぐ、が目標になるわけがない、ということでした。
お金を稼いで、○○をする、という目標がなければ、なんの目標もない人と同じです。
別になんでも良いのです。
お金を稼いで、親に旅行をプレゼントする。
好きな洋服を買う。
それも立派な目標です。
ただ、お金を稼ぐ、それだけだと、言語哲学的に言えば、「ナンセンス」になるのです。無意味、何も言い表さない文章。犬は魚だ、とか、明日は白い、とかと同じ。
なんのためにお金を稼ぐのか。
お金を稼いでどうしたのか。
これはお金を生み出す上でとっても大切なことです。