WISEのビジネスパワーブログ「おまけ:交換社会が生まれた経緯を考えてみる」
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おまけ!資本主義社会が生まれた経緯を考えてみる
ちょっと時間が空いてしまって反省中です。(;'∀')
ビジネスの本質シリーズで、「交換と共有」のお話をしましたが、
この「交換」と「共有」ということ自体も掘り下げてみると、ちょっとおもしろいんですよね。
交換は、「所有」とコンビで、
共有は、「共存・協力」とコンビなのかな?と思います。
交換するということは、その交換するそのものが、明確に誰かのものである必要が前提としてあります。
そう思うと、「個人所有」という「概念」自体が当たり前の社会で成立します。
昔見たテレビ番組で、海外のごみ山暮らしの子供たちのドキュメンタリーがありました。
そこに女性タレントさんが密着するのですが、子供たちは有害物質も含まれた廃棄物の場所で生まれ、そのためなのか大体父親はおらず、母親も病気がちです。
なので一番の労働者が10歳にも満たない少年少女たちで、彼ら彼女らのゴミ漁りが家族の収入の全てです。
そうなると、一日朝からごみ山を漁っても、兄弟や家族が満足して食べられるなんてことはあり得ません。
いつもお米を溶いたおかゆのようなお湯が食事です。
そうしたら、長女の10歳くらいの女の子が、女性タレントさんに、当然のように夕飯のおかゆを分けて出しました。
その女性タレントさんは、彼女が一生懸命働いて稼いだお金で買ったお米、おかゆをもらうことを躊躇しましたが、女の子があまりに自然に笑顔でお椀を差し出したので、
断るのも傷つけてしまうかも?と口をつけます。
味のしないおかゆは、おいしいものでもなく、その女性タレントさんはその後涙を流しました。
私たち現代の日本人の感覚だと、女の子の行為は崇高で、思いやりを感じますが、
私は多分、その女の子たちの世界観では「所有」という概念がないのではないか?ととらえました。
一日一緒にいたというだけでも「仲間」で、「共存」する存在と認識していて、
だから食べ物を「共有」するということが、偉いことでも道徳的なことでもなく、
ただただ、「当たり前」なのではないか?と思います。
とある経済についての本で、非常に興味深かったのは、ものが少ない社会というのは、こういった社会通念を持つようです。
ものに「余剰」ができて初めて「個人所有」という概念が生まれると。
基本的に物が少ない社会というのは、一番は「食料」が足りていません。イコール死に直結。
とにかく近場の人たちとみんなと助けあい、一生懸命協力しあって、食べ物を作り、皆で分配、共有します。
近い場所でのコミュニティなのと、厳しい環境下だからこそ、お互いの監視の目が自然とあって、道徳心が最も価値が高かったのではないかと思います。また作物を育てるというのはさぼることが一番の罪なので、ずるする人やいじわるな人は外に出されたのではと想像します。
だからよく村長は年長者がなるものですが、その存在は基本的に道徳、ルールの監視者でありルールそのものとして認められる存在だったのではないでしょうか。
そうこうするうちに、少しずつ作物を育てるレベルが上がっていき、生産力が高まっていきます。
そして「生産余剰」が出てくることで、その余った分をどうするか?ということから、いっぱい働いた人に多く、などの「個人所有」が生まれると同時に、農業以外の職業も生まれていきます。
農業以外の職業者に対して、その労働対価を支払うということで、小麦何グラムなど価値基準ができ、「交換」によって生活をしていくという土台が普及していったのではないでしょうか?
「生産余剰」「個人所有」「農業以外の職業」「労働対価」が同時発生し、交換社会が成立していったのではないでしょうか・・・・?
あ、またもや妄想のおまけ話なのに、結構分量多くなっちゃいましたね(;´・ω・)
では次は、古代?からは打って変わって、おもいっきり現代のお話をしたいと思います!(^o^)